学生の将来の夢ってなに?
科研費出しました。
期待度は、、、まあ、もう忘れよう。
そうだ、せっかくうんうん考えて書類作ったのだし、民間のを出そう。
それに期待しよう。
さて、なんか「仕事をする理由が無い〜日本人の目標は「楽をする事」なんじゃないか」こんな記事を読んだので思ったことをば。
僕は一番最初の授業で白紙を配り、「なぜこの学校に入ったのか、将来の夢は何か、これから卒業まで何をしていくのか」のようなことをなんでもいいから自由に書きなさいと言います。
すると将来の夢はだいたい、「食品系の企業に入りたい」「製薬系の企業に入りたい」「化粧品系の企業に入りたい」「進学したい」「特に夢はない」くらいしか出てきません。
「こんな企業に入りたい」は、立派な目標なので文句を言われることではないんですよ、もちろん。
それは素晴らしいことなんですよ。
でもさ、企業に入るのが夢って、どうなの? といつも思ってしまう。
就活が始まるような年頃の子なら、まあそれも仕方がないんでしょうけど、一年生でそれってどうなの?
もっとバカっぽい夢を書いてくれないものかなあ、といつも思う。
いつもって言ってもまだ 3 つくらいしか授業受け持ってないけどね。
「野球選手になりたい」「世界征服」「プリキュア」「ビッグになりたい」
子供の夢のほうがよっぽど夢だし、先があるし、あるいはなさ過ぎて深く考えざるを得ないし、突き詰めれば発展して生涯人生を豊かにしそうな気がするのは、俺だけなんだろうか?
まあいい年になっても、いつまでも口だけで具体性が出てこないと、“バカっぽくていい夢”で済まずに、ただのバカになってしまいますが。
でも、それでもいいと思うんですよ。
なんかこう、ほとばしる感情というか、憧れと焦燥というか、そういうものこそが夢だと思うんですよ。
もっと、感情的な欲求なんじゃないかなって思うのです。
だからつまり、夢を書いてって言う意味は、もうちょっと具体的に建前っぽくするなら、「どういう人間になって、何を為したいのか」という部分なわけです。
「製薬会社に入りたい」は正直言うと夢のための手段でしかない気がする。
好きなことが職業じゃなくて趣味でも構わないと思うし、行為じゃなくて「こんな時間が好き」「こんな空気が好き」でも構わないと思う。
そういう瞬間を得るために生きて、生きるために割り切って仕事する、っていうほうが、よっぽど素直でいい夢な気がするんだよなあ。
「夢=職業でなければダメ」、という固まった考えを打破できたらいいなって思う。
職業を夢にするのも、それはもちろんいいんですよ。
いいんだけど、全員がそれを掲げて、真に心の中にある形にならない欲求を、夢と思わないっていうのはどうなんかなって思うんです。
その、くだらない欲求こそが、あなたの夢だ、って威張って書いてくれていいんですよ。
そういうの、大事にしてほしいなって思います。
そういう考えが広まれば、もっと自由な発想が増えて、もっと面白い世の中になっていくんじゃないかなー、とか思ったり。
その点、我々研究者は、極度の夢見がちなバカなので、院生時代に親戚のオバチャンとかにバカにされるんですよね、、、、
へえ、まだ勉強すんの! よっぽど勉強好きなんやなあ! ってね。