岡山大学の問題と、中四国の大学の問題について
岡山大学がえらいことになっています。
一般企業に例えて端的に言うと、内部告発した部長が、社長主導で会社から追放された、という事態が起きたようです。
詳しくはここから見てください。
togetter.com
事実であれば、研究科長が研究科内の不正等を見つけたので、処分を行おうと公にしたら、不正等を告発した研究科長が逆になぜかクビになったということです。
内情は全くわからないので何とも言えませんが、真実ならばあってはならないことです。
今から少しだけ憶測でものを言います。
ひとりの末端私大の助教の妄言なので、真に受けないでくださいね。
スーパーグローバル大学というのはご存知でしょうか。
スーパーグローバル大学 - Wikipedia
wikipedia からまるまるコピペすると、
スーパーグローバル大学(スーパーグローバルだいがく)とは、日本国外の大学との連携などを通じて、徹底した国際化を進めて、世界レベルの教育研究を行う「グローバル大学」を重点支援するために2014年(平成26年)に文部科学省が創設した事業であり、支援対象となる大学。
全国30校程度を指定し、大学教育のグローバル化を進めて、日本の大学の国際競争力の向上を進め、グローバルな舞台で活躍できる人材の育てることを目的にしている。日本学術振興会が委員会を設け、この事業に関する審査・評価を実施する。
とのことです。
で、この中でもさらに、
トップ型と牽引型という 2 タイプがあります。
中身は次の通り。
トップ型 :世界大学ランキングのトップ100を狙う実力がある、世界レベルの研究を行う大学
つまり、トップ型に選ばれた大学だけ、超一流大学として文科省は特別待遇しますよ、牽引型は二番手で我慢してね、という区別です。
見てみるとトップ型は
北海道大学、東北大学、筑波大学、東京大学、東京医科歯科大学、東京工業大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、広島大学、九州大学、慶應義塾大学、早稲田大学
という、旧帝大 + 一流研究大学になっています。
なのですが、よく見ると、広島大学だけ少々、何で?と思わざるを得ません。
牽引型は二番手集団とは言っても、旧制高校のナンバースクールを前身とした名門国立大、金沢大学や熊本大学が入っていますし、MARCH や関関同立など、一応高学歴と言える大学が名前を連ねています。
問題の岡山大学も、旧制第六高校を前身とし、こちらに選ばれています。
高等師範学校や文理科大学を前身に持つ広島大学ももちろん名門ですが、どちらかと言えばこちらの仲間のような印象を受けます。
ここでひとつポイントとして、中四国には旧帝国大学がないということがあります。
旧帝大があれば文句なしにそこがトップ型になるわけですが、旧帝大がない中四国でも、地理的なことを考えて無理やり(?)トップ型を選びたい。
しかし、中四国は実質、広島大学と岡山大学の一騎打ちの様相になっています。
歴史、偏差値、実力、もろもろ合わせても、この 2 大学に明らかな優劣はありません。
ちょうど、早稲田と慶応はどっちが上か?みたいなもんだと思ってくれたらよいと思います。
東大と京大はどっちが上か?よりも差のない話です。
しかし、地理的といいますか、都市規模や人口としては、明らかに岡山県より広島県のほうが上です。
もちろん、四国へのアクセスは岡山が良いとか、平地面積は岡山のほうが広いとか、街の中心部にある大学の立地は岡大のほうがいい (広大は田舎過ぎる) とか、利点はもちろん岡山にもあります。
しかし、将来的に道州制が導入されることを想定しても、中四国の拠点は広島にするということに疑問を持つ人はそれほど多くはないはずです。
東西の大都市、大阪神戸と福岡の間、という距離感を考えても、広島がちょうどいい位置ですしね。
岡山は関西に近すぎます。
もちろんそれだけが理由ではないと思いますが、おそらく立地のせいが大きな差となって (神戸大や一橋大が落ちているのも、立地重視を想像させる)、明らかな優劣のない 2 大学のうち、岡大が負けて、広大だけが政府のお墨付きをもらった、という見方ができるというのが、現在の中四国の大学の様相と言えると僕は思っています。
そりゃ岡大は焦りますよ。
いまは広大の後塵を拝してしまったけれど、次は岡大が覇権を取り返す、大学としてはそう考えていることだろうと思います。
このスーパーグローバル大学の決定が 2014 年ですが、選定作業はその 1, 2 年前から、つまり 2012 年頃からは進んでいたはずです。
時系列を見ると最初の告発も 2012 年のようです。
大学としてはトップ型に選ばれるのか選ばれないのかの、きわめてデリケートな時期だったと想像できます。
そして 2014 年の発表後も、広大を抜き返すためには少しの汚点も見せられない。
そこで現れてきた研究不正問題。
こんなのでイメージを落としてしまったんじゃ、広大を抜き返す日はもう永遠に来なくなるのではないか。
今は絶対にそんなことになってはならない。
そう思うと、内部告発した研究科長にどういう扱いが待っているか?
本来ならば、森山先生、榎本先生がされたように、問題を根本から解決し、どこからつつかれても問題のない体制で真正面からいい研究をして、実力で広大に差をつけるべきです。
しかし、一時的なイメージダウンが命取りと焦ってしまうと、恥部を公にする教授は黙らせるしかない、という判断が出てくる可能性もあります。
まあ、上記は妄言です。
ですが、もし森山先生・榎本先生に正義があり、現在報じられている内容が事実であるならば、通常の大学では考えられないような事態がなぜ起きているのか、と考えると、このような背景にも、思いが至った、というわけです。
はい、妄言でした!
投稿してたことも知らない自分の論文が出てるんですが?
科研費シーズンですね。
私も申請書頑張って書いております。
10月が1年で1番勉強する時期かもしれないですね。
科研費申請書作成のために、業績欄をまとめていると、あれあれ?
自分の名前で、全く記憶にない論文がありました。
同姓同名?
いや、僕はそこまでありふれたフルネームでもないので、可能性は低そう。
コレスポは誰?
数年前にポスドクやってた研究室のボスでした。
内容は、僕があのラボにいた時、少しだけかじったテーマ。
間違いない、これは俺のことだ。
、、、って、投稿したことも知らないんですけど?
パブリッシュされてたことも知らないのですけど??
これって研究倫理とかでダメな事例として習うやつじゃないですかね。
共著者全員の同意がないと著者にしちゃいけないって。
なんだこれは? なんだあのハゲは?
これであの元ボスが、この論文でオボりでもしてたらめちゃくちゃ厄介なことになります。
俺はまったく知らないのに、捏造犯の一味になってしまいます。
まあ、さすがにオボったりはしてないでしょうけども。
しかし、おそろしいです。
うん、こわい。
卒業した学生で、連絡が取れなくて、とかなら、まだ理解もできます。
それでもダメなんですけど、もちろん。
しかし、僕はまだアカデミックの世界にいて、現役で研究しております。
そういう研究者に対して、無断で著者にいれるって、研究者として完全にナメてるとしか思えません。
俺はナメられたんです。
しかし、これをこの先、文句を言っておおごとにしても僕にメリットはまったくない。
むしろ、ややこしいことになるだけ。
こんなのでもめても、一瞬でこの業界の人々に広まって、厄介なことになるだけでしょう。
腑に落ちませんが、特に誰かに何かを言うことなく、終わらせるしかないのでしょう。
まあ、教授と元ポスドクだもんな、力関係上、何も言えないよ。。。
もっと頑張って、研究実績つんで、無視できない存在になるしかないのでしょうね。
がんばろー。
所見を求めることができる研究者って
教員公募、推薦者の推薦書ならわかりますが、「所見を求めることができる研究者」ってのがありますよね。
あれってどういう扱いで、いつ誰に調査が入るの? と疑問に思います。
最近、元ボスに電話して、移籍する話をしたら大変驚かれました。
当然調査は入っているものと思っていたのですが…
どうやら調査は入っていなかったようです。
「所見を求めることができる研究者」筆頭だったのですが。
前も書きましたように、私と深いつながりのあった他の先生に調査が入っていたことは明らかなのですが、この先生は「所見を求めることができる研究者」としてはあげていませんでした。
となると、こういう「所見を求めることができる研究者」みたいなものは完全に無視して、聞きやすい人がいればその人に聞くってこともあり得るんですね。
おそろしや。
今までの 2 回の経験です。
現職も、春からの移籍先も、ちゃんと誰かに調査は入っていました。
二回とも、調査があったよ、のようなことをにおわされます。
一度は面接に呼ばれた後、シンポジウムで元ボスと顔を合わせた時、
「この前調査が入ったよ」と言われました。
次は (今回は) 面接に呼ばれてすらいない段階のときに、メールでやりとりしているとそのようなニュアンスをにおわされました。
「え? え? なんで応募したの知ってるの?
てか調査が入ったの? 俺面接呼んでもらえるの?」
的な軽いパニックが数日ありました。
面接呼ばれるまで落ち着かないよ…
ほんと、色々気が抜けないですよね。
教員公募、内定をもらって思うこと
先日書きましたように、内定をいただきました。
公募でポストを勝ち取って思うことを、ちらちら書こうと思います。
( 現職ついてから書いた、
パーマネント獲得へ - 研究者って自称ギタリストと何が違うの?
も参考までに)
ガチ公募? コネ公募?
今回の公募もコネ公募ではなく、JREC-IN を見て応募したガチ公募でした。
しかし、応募してからわかったことでしたが、受け入れ先の教授の先生は、私と深いつながりのある先生と、かつて同じ研究室にいたことがあったそうです。
常にシンポジウムで顔を合わすような先生ならたいてい知っているわけですが、現在の互いの研究がそこまで似ているとは限らず、意外な接点というのは把握しきれません。
今回はその深いつながりの先生の名前を「所見がもとめられる研究者」として挙げたわけではなかったのですが、ちゃんとその先生にも調査が入っていました。
なので、応募した私としては完全なガチ公募ではあったのですが、採用側や上のほうの先生たちの間で様々な思惑 (コネ的な側面) が本当になかったのかと言えば、どうなのかなあ、という印象は持っています。
(もちろん、実際にあったことは不明ですし、どの程度考慮されたのか、全く考慮されてないのか、不明です。ただし、不正なことは絶対ありませんし、行われたことは通常の人物照会の範囲なはずです。
雇う側として、つながりのある人のほうが安心するのは当たり前、というだけの話です。これも広義で言えばコネの一種と言えなくもないでしょう、という意味です)
「コネも実力のうち」と言われることもありますが、本当にそれに近い話で、さらに「コネも運のうち」とも言えるんじゃないかなと思いました。
というのは、コネというのは自分で把握できるようなものだけではないからです。
自分のコネだけでなく周囲の人間のコネも大いに関係あります。
雇う側として、身元が確かな人のほうが安心するのは自明です。
「少々頭がおかしくても人格が破綻してても、研究者として抜群な人を採りたい」という人事も、横綱級の大学・研究所や、時限付きプロジェクトならたくさんあるでしょうが、地方私大などになると、人物評価や教育力の評価が重視されるのも必然かな、と思います。
これは妄想ですが。
私が公募書類を発送したのは、公募開始からすぐでした。
1 か月か 2 か月かあった公募期間の中で、最初の 1 週間くらいで発送しました。
知り合いの知り合いが早めに書類を送ってきたので、その時点で採用する方向で動き始めた? とかはあるのかしら? とか妄想しないではないです。
信頼できる派閥の人とか興味を引く人とかからの応募がなければ、公募側は期間後半になって、
「誰かいい人いたら、公募出すように言ってもらえませんか?」
のように、信頼できる先生などに対しアプローチし始める、ということも考えられます。
そうなっていれば、一本釣りに近い形の公募に変化していて、僕なんかは門前払いになっていた可能性もあります。
まあ、妄想なんでわかりません。
書類をいつ出すか、も、コネ的な側面ではひとつファクターになりえるのかもしれません。
妄想です。
一本釣りのようなコネ公募については、僕は知らないので言及しません。
そういう人は一部のごく優秀な人だけの話なので、僕には関係のない話です。
そういう公募の当て馬にされるのは、ひどい話ですよね。
研究実績、優秀さは?
当たり前ですが、優秀であればあるほど良いです。
研究業績もあればあるほど良いです。
それは当然として、の話です。
優秀であるからと言って必ず決まるわけではなく、研究実績が一番あるからと言って必ず決まるわけでもまたありません。
たとえば、「講師・准教授」を募集している公募のとき、研究実績だけで言えば准教授相当の人が勝つに決まってるわけですが、実際には講師が採用されることもあります。
つまり、採りたいと思った人が、准教授相当ではなく講師相当の研究実績だった、ということになります。
こういうのは、ここで言わなくてもみんな知っていると思います。
やはり研究が全て、と言えるような東大クラスの大学に近づくほどに研究実績・実力重視 (人物を軽視するとは言っていない)、私大や地方大になるほど人物・教育力重視 (研究実績・実力を軽視するとは言っていない) になるのでしょう。
なので、まずは研究実績をできるだけあげて、実力を出来る限りつける、というのが正解です。
しかし、それだけで勝負できない人は何をすべきかというと、もちろん下記の通りです。
- 人物評価を高く保つこと
- 教育実績をつけること
- 人脈 (いい評価をしてくれる人) を広げること
これにつきるんじゃないでしょうか。
教育歴は?
上に書いたこととかぶりますが。
偏差値の低い学生が在籍するところほど、教育歴を見られます。
偏差値の高い学生には、週一でアドバイスしとけば研究室はまわりますが、偏差値の低い学生ほど研究への情熱もなく基礎知識もないため、つきっきりの指導が必要になるからです。
「こいつ、研究は優秀そうだけど、アホ学生の指導とかやらなそうだな、現状に不満ばっか言って何も動かなそう、つまり、うちの大学では使えなさそう」
のように思われると、敬遠されることもあり得ます。
優秀さが不利になるわけではなく、教育しなさそう、が不利になるということです。
「アホ学生の指導もちゃんとやってくれそうだし、研究面でもとびきり優秀そう!」ならもちろん完璧ですが。
しかし、教育職に就くために教育歴がいる? というパラドックス。
最初の教育歴をどうやってつけるかが悩ましい点でしょう。
ネットでは、非常勤講師なんかがお勧めのように書かれています。
しかし、理系のポスドクが非常勤講師なんかにはなかなか行きづらいもの。
それならいっそ、若さで押し切れるうちに着任できるチャンスがある「F ラン私大教員」「高専教員」「短大教員」なんかに、さくっとなってしまうのもひとつです。
研究環境が劣悪になるので、脱出に手間取ると研究実績の面で不利になりますが、パーマネントであっても、最初からそれを捨てる気で、「2 年でやめてやる!」くらいな気持ちで着任すれば、悪くないんじゃないでしょうか。
いつでもポスドクに戻ればよいのです。
そういう意味では、現在 F ラン私大に勤めている方、高専で勤めている方は、その苦い経験、教育経験を評価してくれるところが必ずあります。
ひとつの武器と思っていいはずです。
私も 3 月いっぱいで退職するまでは、やばいところに在籍するわけですが、現職で教育歴をつけられたことが、かなりプラスに働いた感覚はあります。
今が劣悪な環境なんで、教育だけでなく雑用もしっかりやりますアピールにもなりました。
面接官「うちは雑用もおおいよー?」
俺「大丈夫です、うちはこんなことまでしなきゃいけないんです!」
面接官「あー、さすがにうちはそこまでじゃないわー(笑」
といったやりとりがあったくらい。
また、最近では旧帝大クラスでも、教育力をおろそかにしてはいけない、って流れになってきているようです。
もちろん、旧帝大クラスを狙うならば、F ランや高専に寄り道をするのは得策ではないと思います。
しかし、いずれにしても、教育歴はないよりあるべきです。
年齢は?
現職でいうと、30 歳後半で助教で着任してくる先生もいます。
そりゃ同等であれば若いほうがいいです。
若さは間違いなく魅力です。
しかし、35 歳を超えたからと言っても、満たすものを満たしておけば、必ず決まるチャンスはあると思います。
が、若さがない分、何かで勝負できるポイントを作っておかなければ、勝負できないのは当たり前です。
学科の年齢分布も、大きなポイントになるので、応募前に確認しておくと期待度はある程度わかるかも?
分野のマッチング
やっぱり一番気にされるかなと思います。
バッチリあっていればあっているほどいいです。
しかし、「ここで求められる研究と、今までしてきた研究は、根っこのところの研究手法が一緒で、ターゲットが違うだけだ」のような説明ができれば、多少違っていてもクリアーはできます。
今回は、わりとそんな感じだったので、ちょっとつっこまれました。
例えて言うなら、「A という対象物を X という手法で研究する」というのが僕の経歴だったので、A の専門家と見られがちなのですが、先方は A ではなく B の研究をやってほしかったようです。
しかし、「僕は A ではなく X の専門家なんで、A に愛着はあるけどこだわりはありません、B に対して X します!」
といって納得してもらえました。
が、ガチガチのガチ公募なら、かなり不利になる要素ですね。
学科内での、教員同士の得意分野の分布、と言いますか、なるべく広い範囲をカバーできるように教員採用を行うので、同一分野の先生が学科内にいた場合、かなり不利になると言えます。
結局、決め手になるのは?
正直に言います。
運です。
完全に運です。
自分の能力、実績が足きりに引っかからないのは前提としても、
- つながりがわずかでもある公募が出るか?
- 分野のマッチした公募が出るか?
- 求められる年齢のマッチした公募が出るか?
- 教育歴をどの程度求められている公募なのか?
というところは、完全に運です。
勝負できるような条件の公募が出ないことには始まりません。
言葉を変えれば、巡りあわせ、と言っていいでしょう。
できることは 100% やっていくのは当たり前ですが、決まる時は案外あっさり決まり、決まらないときはなかなか決まるものではないです。
公募ってのは本当に生き物なんだなあと思います。
コントロールできない要素ばかりな以上、とにかく出せるものは全部出して、巡り合わせが巡ってくるのを待つ、ということしかできないんじゃないでしょうか。
2 度目の公募当選、本当に運がいいなと感じております。
年賀状から知る先輩の動向
あけましておめでとうございます!
先輩からの年賀状を見てしみじみ、と思ったのでつらつらと書きます。
院生だったころ、僕のひとつ上の学年には 2 人の先輩がいました。
2 人ともちゃんと 3 年で学位をとって、研究者としてはばたいていきました。
そのうちのひとり、A 先輩は、学部はとなりの都道府県の国立大学卒業で、院から僕の出身研究室に入ってきました。
4 年生で研究室に配属される僕と、M1 で配属される A 先輩は、研究室配属は同時期でした。
抜けてるところも多いけど、優しくてまじめで頑張る親しみやすいよい先輩でした。
その先輩は、D3 の中ごろに結婚しました。
すこし年上の彼女と付き合っており、その彼女もちゃんとした製薬会社に勤めていたので、まあ、主に年齢を考慮してそういう流れになったのだと思います。
が、無事に学位はとったものの、就職先が決まらず。
というかボスが「世話するから!」と言いながら、何も話は動かず、みたいな感じだったと思うのですが、とにかく無給で研究室に半年ほど残留していました。
しかし、これじゃあ埒があかん、ということで、自力でいろいろアプライしたようです。
北の大地のほうの研究所のポスドク職をゲットして出ていきました。
悲しいことに、結婚 1 年くらいで単身赴任となりました。
それともうひとり、今度は B 先輩についてです。
彼は学部からの生え抜きで、頭もすごく切れるんですが、少々わがままさと身勝手さがあって、じゃっかん研究室の雰囲気を乱すところもありました。
しかし、それでもよく慕われ、気に入った後輩に対しては面倒もよく見て、飲み会でも面白がられる人でした。
まあなんだろう。
どこにでもいるアスペ気味な人を、徹底的に排除する、っていう姿勢が僕からしたらちょっと共感できないところもあった、ってくらいでしょうか。
しかしまあ、全体的にはよい先輩であったし、仲もよくて釣りにもいったし、一緒に海外学会もいきました。
B 先輩は、卒業と同時に某横綱級の帝大のポスドクでありながら、海外の研究所に勤務する、という素晴らしい身分で就職していきました。
給料もごっついよかったという噂です。
さて、あれからもう 4 年がたとうとしています。
北の大地に旅立った A 先輩は、昨年子供が生まれました。
「子育ては大変やでー」
「妻子にも会えないのがつらいわー」
「俺も次のポジションさがさないとなー」
などなど言ってはいたのですが。
今回の年賀状で、
「北の大地脱出です」と書いてあったので、良い話があったんじゃないかとわくわくして、それからさらに、妻子のために研究諦めて妻子のもとで就職でもするんじゃ、とかも考えて、メールしました。
「某北関東の陸の孤島か、某山陰の陸の孤島にいくことなりそうや。
まあ、またポスドクなんやけどね」
とのこと。
そっかあ、と思いながらも、なんか頑張ってそうですごいなーと思いました。
俺も田舎教師すぎて論文出してねえ、やべえ、もっと先輩みたいにがんばらねば、なんて思いました。
「山陰の先生が大御所やから、そっちに行きたい」のようなことも言っていたのでいい先生に恵まれたらよいなと願うばかりです。
さてさて、一方、海外ポスドクの B 先輩からも年賀状に、
「帰国しました」
との文言が。
任期がそろそろ切れるから、今度は英語圏の国でポスドク先を探している、と聞いていたので、あれ? と。
アメリカ行きをやめて帰国ってことは、いいポストつけたってことじゃないの!?
で、メールしました。
しかしなんと、
「任期が切れて、この先なんも決まってないから帰国したわー」
「企業とかも含めて探すつもりー」
とのこと。
あれまあ。
クソ優秀な先輩だったのに。
英語もペラペラだったのに。
なんでなんだろう。
なんでって、優秀だからポストに就けるわけじゃないのは知ってるし、運やタイミングやめぐりあわせもあるのも知ってるし、こんな話当たり前も当たり前なんだけど。
しかしなあ。
明らかにいろいろなものは B 先輩のほうが A 先輩より優っていた気がするけども。
まあ、努力もあれば、取り組んだテーマにも左右されるしなあ。
そかあ。
クソ優秀だった 5 つほど上の先輩も、去年バイオベンチャーに行ってしまったし、優秀な人ほど、アカデミを離れていっている気がして、なんだかとてもさみしい気持ちになります。
某国立大の講師になった、2 つ上の先輩も、ポスドク続ける気の A 先輩も、ペースを保ってこつこつ続けていく安定感のある人だったからなあ。
やっぱり、仕事や作業も、メンタルも含め、安定している人が残っていくのかもしれないですね。
帰国した B 先輩は、
「任期で追い込まれた方が力を発揮する人もいると思うけど、俺はそのタイプではなかったわ」と。
あれだけ図太かった(実は繊細だったけど)先輩も、そう思うんだよね。
やっぱ、普通は思うんだよなあ。
俺も去年まで、泣きそうだったし。
さあ、世の中どうなっていくのやら。
まだまだこういう時代よねー。
日本の教員の国際競争力は?
こんなコラムが出てて気になったので一応。
http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2013/07/post-710.php
日本の大学は非常勤講師を使い捨てる「ブラック大学」
早稲田大学が今春から非常勤講師に適用した就業規則について、早大の非常勤講師15人が6月、早大総長や理事らを労働基準法違反で東京労働局に刑事告訴した。原告の首都圏大学非常勤講師組合の松村委員長によると、非常勤講師は今年度から契約更新の上限を5年とする、と大学から一方的に通告されたという。
大学側は労働基準法にもとづいて意見を聞いたとしているが、講師らは正当な手続きを経ていないと主張し、「早大はわれわれを5年で使い捨てるブラック大学だ」と批判している。大阪大学も今年度から非常勤講師の契約期間の上限を5年とする規定を設け、これに対しても労働組合が告訴する動きがあり、これは一部の大学の問題ではない。
4月から改正された労働契約法では、非正規労働者が5年を超えて勤めると、本人が希望すれば期間の定めのない「正社員」に転換しなければならないため、多くの企業で契約社員などを5年で雇い止めする動きが広がっている。大学の場合は今まで事実上無期限に勤務してきた非常勤講師が多く、早大の場合は教員の6割、4000人が非常勤だというから、雇い止めの影響は大きい。
私もいくつかの大学で非常勤講師をやったが、賃金はだいたい一コマ(90分)で7000円ぐらい。準備の時間や往復の交通費や試験などの事務にとられる時間を考えると、コンビニのアルバイトと大して変わらない。ところが専任講師や准教授になると実質的に終身雇用になり、教授になれば年収1000万円を超えるので、常勤と非常勤の格差は非常に大きい。
ある非常勤講師の場合は、1週間に10コマ掛け持ちしても年収は300万円程度で、ボーナスも昇給もないので、50過ぎても生活は苦しい。カリキュラムは毎年変わるので、いつクビになるかわからないが、大学の教師というのはつぶしがきかないので、本当にコンビニぐらいしか働き口がない。
こんなひどい差別があるのは、日本の大学だけである。文部科学省の調べによれば、アメリカの大学教員のうちテニュアをもつのは62%で、助教授では12%しかいない。一流大学ほど要件はきびしく、ハーバード大学では2300人の教員のうちテニュアは870人しかいない。それなのに日本では、准教授になったら1本も論文を書かなくても昇進し、早大の場合は70歳まで雇用が保証される。
企業のサラリーマンは競争がないようにみえるが、いろいろな部署に配置転換され、仕事のできない社員は左遷されるので、ポスト競争は強いインセンティブになっている。ところが大学教師は専門が決まっているので、仕事のできない教師を左遷することができない。授業も学生しか聞いていないので、勤務評定もほとんどない。だから日本の大学のレベルは、主要国でも最低なのだ。
文科省は来年度の概算要求で、10校の大学を「スーパーグローバル大学」に指定し、世界の大学ランキングの上位100校以内に入ることを目標にして100億円の予算を要求するという。しかしこのように研究者に競争がまったくない状態で、いくら補助金を出してもすぐれた研究が出てくるはずがない。
日本の大学は、最低品質のサービスを最高料金で提供する産業である。しかも一流大学も定員割れの大学も一律に私学助成が出る。その総額は約1兆5000億円で、農業補助金に次ぐ。農業補助金が農家を甘やかして農業をだめにしたように、私学助成が大学を堕落させたのだ。助成金は大学ではなく成績優秀な学生に奨学金として出し、海外の大学にも行けるようにすればいい。グローバルに育てるべきなのは大学ではなく、人材である。
だから日本の大学の競争力を上げるのに、100億円の予算なんか必要ない。世界の大学がどこもやっているように、教授・准教授を含むすべての教員を任期制にし、テニュア審査に合格できない教員は契約を打ち切ればいいのだ。これによって非常勤講師も優秀な研究者は教授になれ、論文を書かない教授はクビになる。それが世界の常識である。
はあ……
え?
どういうこと?
「早大の場合は教員の6割、4000人が非常勤」
「アメリカの大学教員のうちテニュアをもつのは62%」
任期なし職はアメリカのほうが多いってことですよね?
それなのに「研究者に競争がまったくない状態」ってどういうことですか?
競争がないと言っている根拠が、「専門が決まっているので、仕事のできない教師を左遷することができない」って…
専門が決まっていることが競争がないことにはならないし、左遷できなくてもクビにはなるじゃんよ…
だって競争相手は学内だけじゃなくて全国の研究者なんだから。
研究成果が出なくてクビになった先生知ってるよ。
論文書かなくても昇進できるってどこよ?
紀要だったり国内誌をカウントするかしないか、みたいな話なのかしら。
論文書かなくて昇進している人もいないではないけど、そういう人は、そもそも教育担当とか、COE 担当とか、そんな何か別の役割を持っている人だと思うが。
で、最後。
「教授・准教授を含むすべての教員を任期制にし、テニュア審査に合格できない教員は契約を打ち切ればいいのだ」
えっと、日本もそうなんじゃ?
任期なしっていう公募がそもそもテニュア審査なわけでしょ?
そもそも、すべてを任期制にするのか、一定数テニュアをとらせるのか、どっちを推奨してるんだい?
(テニュア審査に合格している人以外)全員任期制だから競争がある! ってこと?
どこの一休さんだよ……