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研究者って自称ギタリストと何が違うの?

クソ田舎助教から、政令指定都市に逃亡しました

教員公募、内定をもらって思うこと

研究生活 研究者の抱える問題
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先日書きましたように、内定をいただきました。

公募でポストを勝ち取って思うことを、ちらちら書こうと思います。

( 現職ついてから書いた、
パーマネント獲得へ - 研究者って自称ギタリストと何が違うの?
 も参考までに)


ガチ公募? コネ公募?

今回の公募もコネ公募ではなく、JREC-IN を見て応募したガチ公募でした。

しかし、応募してからわかったことでしたが、受け入れ先の教授の先生は、私と深いつながりのある先生と、かつて同じ研究室にいたことがあったそうです。

常にシンポジウムで顔を合わすような先生ならたいてい知っているわけですが、現在の互いの研究がそこまで似ているとは限らず、意外な接点というのは把握しきれません。

今回はその深いつながりの先生の名前を「所見がもとめられる研究者」として挙げたわけではなかったのですが、ちゃんとその先生にも調査が入っていました。


なので、応募した私としては完全なガチ公募ではあったのですが、採用側や上のほうの先生たちの間で様々な思惑 (コネ的な側面) が本当になかったのかと言えば、どうなのかなあ、という印象は持っています。
(もちろん、実際にあったことは不明ですし、どの程度考慮されたのか、全く考慮されてないのか、不明です。ただし、不正なことは絶対ありませんし、行われたことは通常の人物照会の範囲なはずです。
雇う側として、つながりのある人のほうが安心するのは当たり前、というだけの話です。これも広義で言えばコネの一種と言えなくもないでしょう、という意味です)


コネも実力のうち」と言われることもありますが、本当にそれに近い話で、さらに「コネも運のうち」とも言えるんじゃないかなと思いました。
というのは、コネというのは自分で把握できるようなものだけではないからです。
自分のコネだけでなく周囲の人間のコネも大いに関係あります。

雇う側として、身元が確かな人のほうが安心するのは自明です。
「少々頭がおかしくても人格が破綻してても、研究者として抜群な人を採りたい」という人事も、横綱級の大学・研究所や、時限付きプロジェクトならたくさんあるでしょうが、地方私大などになると、人物評価や教育力の評価が重視されるのも必然かな、と思います。


これは妄想ですが。
私が公募書類を発送したのは、公募開始からすぐでした。
1 か月か 2 か月かあった公募期間の中で、最初の 1 週間くらいで発送しました。
知り合いの知り合いが早めに書類を送ってきたので、その時点で採用する方向で動き始めた? とかはあるのかしら? とか妄想しないではないです。
信頼できる派閥の人とか興味を引く人とかからの応募がなければ、公募側は期間後半になって、
「誰かいい人いたら、公募出すように言ってもらえませんか?」
のように、信頼できる先生などに対しアプローチし始める、ということも考えられます。
そうなっていれば、一本釣りに近い形の公募に変化していて、僕なんかは門前払いになっていた可能性もあります。
まあ、妄想なんでわかりません。
書類をいつ出すか、も、コネ的な側面ではひとつファクターになりえるのかもしれません。
妄想です。


一本釣りのようなコネ公募については、僕は知らないので言及しません。
そういう人は一部のごく優秀な人だけの話なので、僕には関係のない話です。
そういう公募の当て馬にされるのは、ひどい話ですよね。



研究実績、優秀さは?

当たり前ですが、優秀であればあるほど良いです。
研究業績もあればあるほど良いです。
それは当然として、の話です。


優秀であるからと言って必ず決まるわけではなく、研究実績が一番あるからと言って必ず決まるわけでもまたありません。
たとえば、「講師・准教授」を募集している公募のとき、研究実績だけで言えば准教授相当の人が勝つに決まってるわけですが、実際には講師が採用されることもあります
つまり、採りたいと思った人が、准教授相当ではなく講師相当の研究実績だった、ということになります。
こういうのは、ここで言わなくてもみんな知っていると思います。

やはり研究が全て、と言えるような東大クラスの大学に近づくほどに研究実績・実力重視 (人物を軽視するとは言っていない)、私大や地方大になるほど人物・教育力重視 (研究実績・実力を軽視するとは言っていない) になるのでしょう。


なので、まずは研究実績をできるだけあげて、実力を出来る限りつける、というのが正解です。
しかし、それだけで勝負できない人は何をすべきかというと、もちろん下記の通りです。

  • 人物評価を高く保つこと
  • 教育実績をつけること
  • 人脈 (いい評価をしてくれる人) を広げること

これにつきるんじゃないでしょうか。


教育歴は?

上に書いたこととかぶりますが。
偏差値の低い学生が在籍するところほど、教育歴を見られます
偏差値の高い学生には、週一でアドバイスしとけば研究室はまわりますが、偏差値の低い学生ほど研究への情熱もなく基礎知識もないため、つきっきりの指導が必要になるからです。
「こいつ、研究は優秀そうだけど、アホ学生の指導とかやらなそうだな、現状に不満ばっか言って何も動かなそう、つまり、うちの大学では使えなさそう」
のように思われると、敬遠されることもあり得ます。
優秀さが不利になるわけではなく、教育しなさそう、が不利になるということです。
「アホ学生の指導もちゃんとやってくれそうだし、研究面でもとびきり優秀そう!」ならもちろん完璧ですが。


しかし、教育職に就くために教育歴がいる? というパラドックス
最初の教育歴をどうやってつけるかが悩ましい点でしょう。
ネットでは、非常勤講師なんかがお勧めのように書かれています。
しかし、理系のポスドクが非常勤講師なんかにはなかなか行きづらいもの。
それならいっそ、若さで押し切れるうちに着任できるチャンスがある「F ラン私大教員」「高専教員」「短大教員」なんかに、さくっとなってしまうのもひとつです。


研究環境が劣悪になるので、脱出に手間取ると研究実績の面で不利になりますが、パーマネントであっても、最初からそれを捨てる気で、「2 年でやめてやる!」くらいな気持ちで着任すれば、悪くないんじゃないでしょうか。

いつでもポスドクに戻ればよいのです。

そういう意味では、現在 F ラン私大に勤めている方、高専で勤めている方は、その苦い経験、教育経験を評価してくれるところが必ずあります
ひとつの武器と思っていいはずです。


私も 3 月いっぱいで退職するまでは、やばいところに在籍するわけですが、現職で教育歴をつけられたことが、かなりプラスに働いた感覚はあります。
今が劣悪な環境なんで、教育だけでなく雑用もしっかりやりますアピールにもなりました。
面接官「うちは雑用もおおいよー?」
俺「大丈夫です、うちはこんなことまでしなきゃいけないんです!」
面接官「あー、さすがにうちはそこまでじゃないわー(笑」

といったやりとりがあったくらい。



また、最近では旧帝大クラスでも、教育力をおろそかにしてはいけない、って流れになってきているようです。
もちろん、旧帝大クラスを狙うならば、F ランや高専に寄り道をするのは得策ではないと思います。
しかし、いずれにしても、教育歴はないよりあるべきです。



年齢は?

現職でいうと、30 歳後半で助教で着任してくる先生もいます。
そりゃ同等であれば若いほうがいいです。
若さは間違いなく魅力です。
しかし、35 歳を超えたからと言っても、満たすものを満たしておけば、必ず決まるチャンスはあると思います。
が、若さがない分、何かで勝負できるポイントを作っておかなければ、勝負できないのは当たり前です。

学科の年齢分布も、大きなポイントになるので、応募前に確認しておくと期待度はある程度わかるかも?


分野のマッチング

やっぱり一番気にされるかなと思います。
バッチリあっていればあっているほどいいです。
しかし、「ここで求められる研究と、今までしてきた研究は、根っこのところの研究手法が一緒で、ターゲットが違うだけだ」のような説明ができれば、多少違っていてもクリアーはできます。
今回は、わりとそんな感じだったので、ちょっとつっこまれました。

例えて言うなら、「A という対象物を X という手法で研究する」というのが僕の経歴だったので、A の専門家と見られがちなのですが、先方は A ではなく B の研究をやってほしかったようです。
しかし、「僕は A ではなく X の専門家なんで、A に愛着はあるけどこだわりはありません、B に対して X します!
といって納得してもらえました。

が、ガチガチのガチ公募なら、かなり不利になる要素ですね。
学科内での、教員同士の得意分野の分布、と言いますか、なるべく広い範囲をカバーできるように教員採用を行うので、同一分野の先生が学科内にいた場合、かなり不利になると言えます


結局、決め手になるのは?

正直に言います。
です。
完全に運です。

自分の能力、実績が足きりに引っかからないのは前提としても、

  • つながりがわずかでもある公募が出るか?
  • 分野のマッチした公募が出るか?
  • 求められる年齢のマッチした公募が出るか?
  • 教育歴をどの程度求められている公募なのか?

というところは、完全に運です。
勝負できるような条件の公募が出ないことには始まりません。

言葉を変えれば、巡りあわせ、と言っていいでしょう。



できることは 100% やっていくのは当たり前ですが、決まる時は案外あっさり決まり、決まらないときはなかなか決まるものではないです。
公募ってのは本当に生き物なんだなあと思います。
コントロールできない要素ばかりな以上、とにかく出せるものは全部出して、巡り合わせが巡ってくるのを待つ、ということしかできないんじゃないでしょうか


2 度目の公募当選、本当に運がいいなと感じております。