師匠の出世
出身ラボで大変お世話になった准教授の先生が教授になって公立大に転出されたらしい。
大変喜ばしいことです。
私の出身ラボは教授もすごい先生だけど、実質ラボをまわしていたのは准教授の先生だった。
教授は夢物語を語ってビジョンを示しながら政治活動をしているだけ(これは言い過ぎだけど)という側面もないではなかった。
生き方や帝王学や夢の持ち方は教授から教わったと言えるけど、研究のノウハウは全てこの師匠、准教授の先生に教わったと言える。
「優秀」とか「忙しい」という言葉はこの先生のためにあるのか、というくらい、勉強家で、ハードワーカーだった。
頭のキレだけじゃなく、勉強量とか知識量とかを含めた努力が圧倒的なタイプの研究者なので、この先生を前にすると、自分が頑張れない事情は全て言い訳でしかないと思ってしまうくらい、素晴らしい姿勢を見せてくれる先生だった。
しかし、こんな先生でも、教授になるときはそのまま帝大に残るのではなく、公立大になってしまうのか、というのもちょっと思った。
帝大にはそりゃ優秀な教授陣がそろっているけど、おじいちゃんを含めた全員が全員素晴らしく優秀か、というとそうとも言い切れないというのが正直なところ。
(帝大クラスの脂ののった若い助教・准教授連中らは頭キレキレでめちゃくちゃ優秀な人がそろっている気はするけど)
師匠の准教授の先生だって、あの帝大のあの学科の中でも優秀なほうの先生だったと思う。
それでもラボを持つには外になるんだなあと。
こういうのを見ると、ポジションってのは本当に運とタイミングが重要だし、それ以上に、帝大の教授っていうのはやっぱり、とてつもなくすごい人たちなんだなあ、というのも改めて実感する。
ううむ。
しかしまあ、公立大にも、帝大のラボを実質まわしていた先生とかがいるってことなんだな。
あ、私立大にも、まさに帝大で教授やってた先生とか天下ってきているわけだし。
なんか、実はどこも優秀な先生ばっかなんだなあ。
俺もはやく次のポジションに移れるように、研究をがんばろう。
今もすでにパーマネントだけど、研究環境や住環境も含めて、よりよい環境に移りたい。
任期がそこそこ長ければ、非パーマネントでも悪くないかもしれない。
しかしなー、なかなか簡単に決まるものでもないのが悲しいところ。
今のポジションがきまるまでは、1 勝 3 敗。
面接は今のポジションだけの 1 回きり。
1 回は分野が違い過ぎて速攻で書類が送り返されてきた。
そして、今のポジションについてからは、2 回出して 2 回ともあっさり振られている。
あと 2 つ結果待ち状態。
俺もいつか脱出できるんだろうか。
とりあえず科研費とれるようにがんばろー。
遠心機買っちまった、中古で
相変わらず貧しい中研究してますが。
共同研究も進み始め、発色法だけどウェスタンもやり始め、ぼつぼつ研究でき始めています。
よかった。
そしてついに遠心機を買ってしまった。
恥ずかしいけども自費で。
しかし、研究費とれるまで、とか言ってる間に再起不能になりかねないし、これはいい投資だ、と信じます。
これでもう隣に借りなくて済む!
はやくこいつを生かして論文書いて研究費とろう。
初めて中古で買ったけど、中古機器扱ってるとこ行けば案外安いんだね。
と言っても高いけどさ。
プライベートで、どでかい冷蔵庫買ったとか、いいパソコン買ったとか、そういうことしたと思えば、まあそんなもんかな、という感じ。
ちょいとググれば、テイクオフとか、アイラテックとか、テクノイワサとか、そういう名前がヒットしますが、まあそういうとこで買ったわけです。
状態もしっかりしてるし、悪くなかったです。
これからも活用しよう。
卒研配属!
某 S 細胞で騒がしい世の中ですが、地雷なので華麗にスルーします。
というか専門外だし。
R のあの先生も大変なのかなあ。
W のあの先生も大変なのかなあ。
と、知り合いの心配だけしとこっと。
春からの卒研配属きまりました。
うちの研究室はけっこう競合したらしく、案外人気があったようです。
その結果、成績一桁の上位から 2 人配属になりました。
美少女とイケメンです。
あ、助教は上限 2 人なんですよ。
競合したということだし、彼らの期待にそえるように、より一層がんばろう、と決意を改めておきます。
おそらくふたりとも就職なので、1 年の付き合いだと思います。
とりあえず、学生によい研究環境を提供するためにも、お金をとれるように論文書かねば。
留年、させようか
一年目なので、単位認定でいろいろ悩む。
点が足りないなら留年させるしかないわけだけど、再試験をするかしないか、とかね。
いや、基本するつもりなんだけど、一回やってダメだった子に、再々試験をするのかしないのか、とかね。
再試験に指定した日時に来なかったけど「単位はいるんすー」ってあとで言いに来る子をどうするか、とかさ。
もうちょいレベル高いとこならこんなんじゃなかったんだろうに。
まあそれは言ってもしかたない。
まじめに勉強しろなんて言わないけど、まじめに勉強しなくてよいのはまじめにしなくても単位がとれる子だけだ、って思うよね。
本当に留年したくなかったら、それを防ぐためにできることはいろいろあるわけで、それをしなきゃ点が取れないのなら、それをしなさい、としか言えないわ。
それを出来ない事情もいろいろあったのかもしれないけども。
いまさら言ってもしゃあないけども。
留年なあ。
留年したくはないけども。
ただ在学してるだけじゃ、意味ないもんなあ。
青い顔して必死にお願いしてくるような子にはしてあげようかと思うけど、尊大な態度で「いつやるんすかー」みたいな子ってどうしたらいいんだ。
エントロピー
みなさま、テストが終わった時期ですかね。
うちも終わりました。
さて、
「エントロピーは増大していくものだけど、生き物の中では秩序ができています。生き物はこの世の物理法則からはずれた存在なのですか?」
というような、シュレーディンガー先生が考えていたようなことをテストで出しました。
それに対するひとりの学生の答案で、こんなことが。
わりとしっかりした記述で、
「生体外の秩序は乱れており、最終的にはすべての物事は乱雑になってしまう」
というような詳しい説明の後、
「これを解決するには、少女の願いが絶望へと変化するときの感情の変化の利用、あるいは特異点となった存在の願いがエントロピーを超えるのを待つしかないって、インキュベーターが教えてくれました」
わけがわか、るんだけど、さて何点つけようか。。。
予算配分のヒアリングいってきた
今度補正予算とかがきたときに何に優先的に予算をつけるか、っていうのを学内で決めるためのヒアリングに呼ばれていってきました。
ソニケーション、インキュベーター、遠心機も自分では満足に持っていない現状では、ぜひとも当てて、最低限の設備を整えたい。
メインは蛍光イメージアナライザーにして、その付属品的に遠心機やソニケーションをちりばめた申請書をずいぶん前に出していた気がする。
で、今日のヒアリングの責任者の学長は、生物はまったくの専門外の人なので、遺伝子操作してタンパク質とってきて研究する重要性のようなものを中心に話して、そのためにこういう設備がいりますよ、って言いました。
学科内とかなら専門の話だけで通じるんだけど、学長の専門は機械とかだと思われるので、生物系の研究の基礎のキ、みたいな話をしようという考えです。
すごい内容だけどわからん話と、単純だけどよくわかる話なら、絶対にわかる内容のほうを評価するはず!
ですが、「装置の具体的な機能についてもっと聞きたかったんだけど」のようなことを言われました。
さすが機械系。
まあ、終わったことはもう知らん。
学内で上の順位になれば、来年度お金もらえるかもしれないし、祈るのみですなあ。
年賀状から知る先輩の動向
あけましておめでとうございます!
先輩からの年賀状を見てしみじみ、と思ったのでつらつらと書きます。
院生だったころ、僕のひとつ上の学年には 2 人の先輩がいました。
2 人ともちゃんと 3 年で学位をとって、研究者としてはばたいていきました。
そのうちのひとり、A 先輩は、学部はとなりの都道府県の国立大学卒業で、院から僕の出身研究室に入ってきました。
4 年生で研究室に配属される僕と、M1 で配属される A 先輩は、研究室配属は同時期でした。
抜けてるところも多いけど、優しくてまじめで頑張る親しみやすいよい先輩でした。
その先輩は、D3 の中ごろに結婚しました。
すこし年上の彼女と付き合っており、その彼女もちゃんとした製薬会社に勤めていたので、まあ、主に年齢を考慮してそういう流れになったのだと思います。
が、無事に学位はとったものの、就職先が決まらず。
というかボスが「世話するから!」と言いながら、何も話は動かず、みたいな感じだったと思うのですが、とにかく無給で研究室に半年ほど残留していました。
しかし、これじゃあ埒があかん、ということで、自力でいろいろアプライしたようです。
北の大地のほうの研究所のポスドク職をゲットして出ていきました。
悲しいことに、結婚 1 年くらいで単身赴任となりました。
それともうひとり、今度は B 先輩についてです。
彼は学部からの生え抜きで、頭もすごく切れるんですが、少々わがままさと身勝手さがあって、じゃっかん研究室の雰囲気を乱すところもありました。
しかし、それでもよく慕われ、気に入った後輩に対しては面倒もよく見て、飲み会でも面白がられる人でした。
まあなんだろう。
どこにでもいるアスペ気味な人を、徹底的に排除する、っていう姿勢が僕からしたらちょっと共感できないところもあった、ってくらいでしょうか。
しかしまあ、全体的にはよい先輩であったし、仲もよくて釣りにもいったし、一緒に海外学会もいきました。
B 先輩は、卒業と同時に某横綱級の帝大のポスドクでありながら、海外の研究所に勤務する、という素晴らしい身分で就職していきました。
給料もごっついよかったという噂です。
さて、あれからもう 4 年がたとうとしています。
北の大地に旅立った A 先輩は、昨年子供が生まれました。
「子育ては大変やでー」
「妻子にも会えないのがつらいわー」
「俺も次のポジションさがさないとなー」
などなど言ってはいたのですが。
今回の年賀状で、
「北の大地脱出です」と書いてあったので、良い話があったんじゃないかとわくわくして、それからさらに、妻子のために研究諦めて妻子のもとで就職でもするんじゃ、とかも考えて、メールしました。
「某北関東の陸の孤島か、某山陰の陸の孤島にいくことなりそうや。
まあ、またポスドクなんやけどね」
とのこと。
そっかあ、と思いながらも、なんか頑張ってそうですごいなーと思いました。
俺も田舎教師すぎて論文出してねえ、やべえ、もっと先輩みたいにがんばらねば、なんて思いました。
「山陰の先生が大御所やから、そっちに行きたい」のようなことも言っていたのでいい先生に恵まれたらよいなと願うばかりです。
さてさて、一方、海外ポスドクの B 先輩からも年賀状に、
「帰国しました」
との文言が。
任期がそろそろ切れるから、今度は英語圏の国でポスドク先を探している、と聞いていたので、あれ? と。
アメリカ行きをやめて帰国ってことは、いいポストつけたってことじゃないの!?
で、メールしました。
しかしなんと、
「任期が切れて、この先なんも決まってないから帰国したわー」
「企業とかも含めて探すつもりー」
とのこと。
あれまあ。
クソ優秀な先輩だったのに。
英語もペラペラだったのに。
なんでなんだろう。
なんでって、優秀だからポストに就けるわけじゃないのは知ってるし、運やタイミングやめぐりあわせもあるのも知ってるし、こんな話当たり前も当たり前なんだけど。
しかしなあ。
明らかにいろいろなものは B 先輩のほうが A 先輩より優っていた気がするけども。
まあ、努力もあれば、取り組んだテーマにも左右されるしなあ。
そかあ。
クソ優秀だった 5 つほど上の先輩も、去年バイオベンチャーに行ってしまったし、優秀な人ほど、アカデミを離れていっている気がして、なんだかとてもさみしい気持ちになります。
某国立大の講師になった、2 つ上の先輩も、ポスドク続ける気の A 先輩も、ペースを保ってこつこつ続けていく安定感のある人だったからなあ。
やっぱり、仕事や作業も、メンタルも含め、安定している人が残っていくのかもしれないですね。
帰国した B 先輩は、
「任期で追い込まれた方が力を発揮する人もいると思うけど、俺はそのタイプではなかったわ」と。
あれだけ図太かった(実は繊細だったけど)先輩も、そう思うんだよね。
やっぱ、普通は思うんだよなあ。
俺も去年まで、泣きそうだったし。
さあ、世の中どうなっていくのやら。
まだまだこういう時代よねー。