博士学生の進路
先日、こんな辺境の地まで大学院時代の後輩がやってきたので、飲んできた。
大学院時代の後輩、と言っても、彼は俺と同い年。
俺も彼も学部からずっと同じ某旧帝大だから、大学では 8 年一緒に過ごしたことになる。
彼はいまもドクターを取得できていない (していない?) ので、相変わらず同じ、僕の出身ラボにおり、つまり、D5 になる。
もうすごい古参だ。
研究室に初めて入ってから、8 年目になるんだろうな。
俺は B4 から D3 まで 6 年間在籍したのち学位取得して、それから今で 3 年目になるので、順調ならば 2 つ下の後輩まで、学位を得て卒業したことになる。
そこでちょっと、数えてみた。
俺があの研究室に 4 年生で入った時にいた先輩から、この春出た 2 つ下の後輩まであわせて、俺も含め計 14 人があのラボの博士課程に在籍している。
(フルタイムで大学のラボ内にいた人に限る)
その進路を、ちょっと数えてみた。
ということになった。
学生がいなかった年もあるので 7 年間。
いわゆる横綱ではないけど、その次点に来るレベルの地方旧帝大の、生物系基礎研究ラボの話です。
幸いアカポスは全員パーマネントなので、企業も含めると 43% 程度が将来の見通しがついていることになる。
学位取得後、そのポジションにいたるまでの平均年数は 18 年 ÷ 6 人で、3 年となった。
ちなみに全員 3 年で学位を取得している。
企業の 3 名のうち、学取得後すぐ就職したのが 2 名で、あとの 1 人が 6 年のポスドク生活ののち、今年からの就職ということだ。
上記の計算から、新卒就職者を除外すると、18 年 ÷ 4 人で 4.5 年ということになる。
では、次に将来未定の方たちについて。
中退の 1 名を外して考えると、残り 50% の将来が、未定ということになる。
ドクター入学後、将来が未定でい続けている平均年数は、今のところ 30 年 ÷ 7 人で 4.3 年。
これは時間がたつごとに増え続けるはずで、特に意味のない数字。
しかし、ポスドクをやっている 4 名のうち、2 名はとびきり優秀なので、近々なんとかなるんじゃないか、と期待はしているのだが。
優秀だからポジションがある、というわけじゃないのが頭のいたいところ。
衝撃なのが、俺が今まで見てきた中で、1 番優秀と言えるような先輩が、先ほど企業就職者のところで言及した、 6 年のポスドク生活ののちに就職した人だ。
アカポスについている 3 名よりも、優秀だったし、実績もあった。
人間性ももっとも素晴らしかった。
アカポスには俺も含まれているけど、俺なんてあの先輩に比べればゴミカスだった。
なぜそんなことになったのか、というと、優秀すぎたからだ、と俺は思う。
ボスが、大学外の研究機関に持つラボに先輩を引っ張り、進路への影響を与え続けたのだ。
もちろん大事に育てて重用し、進路に関してボスが責任を持つつもりではあったのだ。
中途半端なポジションではなく、立派なポジションにつけるよう、ボスがなんとかしてあげよう! と頑張ったのだ。
それは知っている。
しかし、ボスがそう思ったところで必ずしもうまくいくとは限らないのが今の世の中。
大学外のラボを、昨年たたむことになった。
そこでパーマネントが将来的に約束されている、と言われている新たなポスドク先へ、ボスの勧めもあって先輩は移った。
しかし、程なくして家族の生活も心配になり、本当に将来が約束されているのか信頼できない部分もあり、やむなく就職したそうだ。
いや、優秀なればこそ、就職先があったという気もするし、将来的にアカデミックに戻ってくる可能性もあるんじゃないかと思ってはいる。
が、現時点では、1 番優秀な先輩が、研究を去ってしまったのは事実だ。
これは我々後輩からしてもとても悲しいことだった。
ネット上の話を見ても、ボスの手元に残されたがゆえに、ボスの引退とともに助教からポスドクへ逆戻り、なんて話がいっぱい書かれている。
まさにそのパターンに近く、それにはまってしまったと言える。
そこまで優秀じゃない人は、ボスの手元に残されず、進路に影響力も受けない。
自分で妥協して、と言ったら失礼だけど、それほどランクの高くない大学や研究機関に、若いうちから職を探すことができる。
俺なんかがそれだ。
自分でも雇ってくれるアカポスがあるなら、どこだって僥倖、というくらいの気持ちだった。
優秀であるがゆえに、動くべき時に動けない環境に置かれてしまったことが、先輩の不運だと思う。
しかし、アカデミだけが人生ではないし、大事なことでもない。
家族を大切にして生きることは素晴らしいし、きれいごとじゃなくお金も大事だ。
就職先の企業でも、立派な社会貢献はできるはずだ。
人生いろいろある。
人格崩壊して、眉をひそめられながらいい研究をガンガンして出世するのも人生。
プライベートを重視し、他者を大切にし、結果それほど研究をしないのも人生。
家族を重視するのも人生。
家族を持たず、英知に貢献するも人生。
そこに優劣はないし、どの道も立派で尊敬できると思う。
(同時に尊敬できない部分もあるかもしれない?)
もちろん、家庭も大事にして、人格も素晴らしく、研究以外でも優れた知識を持ち、第一線で走り続ける研究者も、いっぱいいる。
が、誰もがそうはなれない。
人生においては、重視するものの取捨選択が大事だと思う。
選ばずともすべて得られる人はそのまま得たらいい。
わずかしか得られない人は、何にしぼって得るかを考えたらいい。
それが、後悔しない人生を生きる方法かもしれない。
俺も、まだまだ悩もうと思う。